じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

桃山晴衣・チンドン・中村とうよう・説経節

今年の冬は本当に寒い日が続いていますが、凍えた心と身体を温めるのに一番なのはやはり人の声、「うた」ではないでしょうか。ということで、この冬わたしが何度も耳を傾けているのが、中村とうようさんがプロデュースした桃山晴衣さんのアルバム『弾き読み草(ひきよみぐさ)』(1979)です。かじかんだ手と心をスピーカーにかざすようにして桃山さんの歌に耳を傾けていると、うたの奥に流れている心の動きや気配などが伝わり、その向こう側に無限に開かれた無数の命の光が星の瞬(またた)きとなって闇夜を貫いて走ります。

当ブログ過去記事 →「桃山晴衣 そらへ澄みのぼる声」(2010年12月5日)

「天もなく 地もなく /空もなく 光もない /莫々とした果てしない広がりに /塵のように 舞っている /あれは なに /あい あい」 ── 虚空の舟唄(詩:遠藤利男)より。


レコードでは『弾き詠み草』のB面全部を占める曲「虚空の舟唄」(12:55)。桃山さんの歌と三味線の背景を担っているのは、中村とうようさんが白羽の矢を立てた坂本龍一さんの斬新なシンセサイザーです。その虚空のざわめきのなかから、昨年亡くなられた中村とうようさんの声も聞こえてくる心地がしていました。今回のブログは、とうようさんの思い出を記します。


以前わたしがキングレコードに勤務していた頃、浅草のヨーロー堂の松永店長のお導きで、福岡のチンドン屋さん「アダチ宣伝社」の自主制作アルバム『楽しいチンドン・むかしのうた』を知り、そのキングレコード盤の制作を担当するというご縁がありました。そして2005年2月に発売された本作に対して、中村とうようさんはミュージック・マガジン誌のレヴューで何と10点満点をつけてくれたのです。「とうようさんの10点満点」といえば、音楽ファンならば知る人ぞ知る稀少品。しかも翌月の同誌巻頭の鼎談でも『楽しいチンドン・むかしのうた』を近年にない感動だったと絶賛して下さいました。

(多くの方々から名盤のお墨付きをいただいたこのアルバムは、残念なことに昨年廃盤になったようです。アダチ親方とアダチ宣伝社の皆さん、日本全国のちんどんファンの皆様、素晴らしい解説原稿を書いて下さったなぎら健壱さん、申し訳ありません・・・ しかし、これほど内容が充実した作品も滅多にないので、いつかまた、どこかで必ずや復刻されるだろうことを確信しています。)


2009年の初春、当財団から桃山晴衣さんのアルバム『弾き詠み草』(VZCG-717)と『鬼の女の子守唄』(VZCG-718)の復刻が決まり(桃山さんが人間国宝宮薗千壽の下で修行した宮薗節の手を取り入れて創作した今様浄瑠璃『夜叉姫』(VZCG-716)のライヴ音源の初発売と同時に)、その際、この二作のオリジナル版のプロデューサーだった中村とうようさんに連絡を差し上げたのが、わたしが直接お話をする初めての機会でした。(桃山晴衣さんの幅広い活動全般については、土取利行さんのブログで「桃山晴衣の音の足跡」が連載中です。→ 「土取利行・音楽略記」
  

電話をすると、まず、ものすごい剣幕で怒鳴られました。理由は、2000年に当財団から桃山晴衣さんの代表作『「遊びをせんとや生まれけん」──『梁塵秘抄』の世界』をCDで再発した際に(オリジナルLPと初CD化はビクター)、プロデューサーだった自分に一切連絡がなく、勝手にジャケットの絵柄をまったく違うものに変更し、解説の原稿も原稿料の支払いもないまま再使用している、そうした仕事のやり方全体がまったく許せない、ということでした。話を聞けば、とうようさんは『遊びをせんとや生まれけん』のオリジナル・ジャケットの制作にあたっても大変なご苦労を重ねられたとのこと。

たしかに、とうようさんの言い分は理解できるもので、なぜ無断で再発作業を行ってしまったのか・・・。この話はわたしが2007年に当財団に入社する以前の出来事で、2000年に再発盤の制作に関わったスタッフは、全員既に退職して現在はいません。そのことは勿論とうようさんも分かっています。だが分かっていながらそれでもなお、わたしがこの財団の職員である以上、とうようさんはわたしに向かって非常に厳しく叱責を繰り返しました。よっぽど煮え切らない強い怒りを感じていらっしゃったのでしょう。しかし責任の在り処(ありか)とは、当然、そういうものです。わたしはとうようさんから大声で何度も怒鳴られながら、しかし、そうしたとうようさんの筋の通し方に、妙な言い方ですが清々しさを感じてもいて、だから嫌な気持ちにはまったくなりませんでした。素直に今後の自分の仕事の仕方の戒めにしようと思い、とうようさんの言葉を自身の胸に杭として打ち込もうと思いました。

『「遊びをせんとや生まれけん」──『梁塵秘抄』の世界』
オリジナル盤ジャケット<上段左がLP、右がビクター版のCD>と、2000年に当財団から再発した時に変更したCDジャケット<下>。しかし、とうようさんには言えなかったのですが、桃山晴衣さんは、生前わたしにこの新しいジャケット・デザインがとても気に入っていると語っておられました。
  


そして何度目の電話だったか、ようやく怒りのほとぼりが冷めた頃、わたしは、かつて自分がキングレコード在籍時にアダチ宣伝社のアルバム制作を担当したことの経緯を告げ、そして、当時のとうようさんの批評への御礼を伝えました。「あぁ、アダチ宣伝社のあの素晴らしいアルバム、あれはあなたが!」。それからは、とうようさんが強く関心を寄せていた邦楽関連のお話を色々と聞かせて下さって、こちらも自然にお名前を「とうようさん」とお呼びするようになっていました。運が良かったというのか、まったくもって役得でした。とうようさんは日本の伝統音楽の歌や楽器の音色(ねいろ)が大好きで、それらに幼少の砌(みぎり)から親しみ、専門書も数多く読んで大変詳しい知識をお持ちでした。


 
2009年の12月、当財団から復刻した桃山さんのCDが完成してしばらく後、とうようさんから大きな荷物が届きました。中を開けると、以前とうようさんの監修・プロデュースでテイチクから発売された二代目若松若太夫の『若松若太夫説経節の世界』(カセット4本組)〔石童丸/葛の葉/さんせう太夫小栗判官〕と『若松若太夫/しんとく丸』(カセット1本)、そしてこれらと一緒に、和綴じで製本された石童丸の筆書きの台本一冊が入っていました。(二代目若松若太夫の『石童丸』、『山椒太夫』、『葛の葉』はLPでも発売されています。右の画像はLP盤の『葛の葉』ジャケット。)

すぐに御礼の電話をすると(ちなみに、とうようさんはFAXも使わないし携帯もパソコンも持たず、インターネットも一切やっていませんでした)、わたしの今回の桃山さんのアルバムの復刻の仕事の仕方に感心したので、これはその感謝と御礼の気持ちとしての贈り物なのだと仰います。わたしとしては、ひたすら恐縮するばかり。そして、この和綴じの台本は、二代目若松若太夫の父である初代若松若太夫が書いたものをとうようさんが二代目から借りて、自らこれを筆写して二部作成した内の一部であるとのことでした。とうようさんは、「ぼくは子供の頃から書が得意で、どんな筆文字でもそっくりに写すことができるんだよ」と、ちょっと得意気な口調で言いました。そして、若太夫さんのカセット作品集は、わたしに持っていてほしいとのことでした。

分厚い解説書内にはごくわずかですがとうようさんによる語句の訂正が鉛筆でマーキングされています。とうようさんはこれら若太夫さんの音源を、いつの日かきちんとCDで復刻して残してほしいと何度も繰り返し仰っていました。これらの音源が発売された当時、マスコミや出版界には「言葉刈り」が吹き荒れていました。たとえ伝統的な話芸の録音であっても、差別に関わると思われる箇所は容赦なくカットや修正が行なわれました。若太夫さんのレパートリーでは「山椒太夫」が差別問題との兼ね合いで修正対象となりました。そうした事情については、このカセット・ボックスの解説書内でとうようさんが丁寧に記しています。おそらくこうした文章を解説書に掲載するということだけでも、相当な闘いと労力が要ったのだろうと思います。けっして妥協はしない、たとえ衝突しても最善の解決策をめざして話し合いを続け、ぎりぎりまで粘るという態度。それは、自分が愛したもの(音楽)への意地だったのかもしれません。

ともかく、そうした事情で変更を強いられた不本意な点について、後のCD化の際には、必ず訂正するべきであると、このことは何度もとうようさんから伺いました。だから、わたしも、いずれ近いうちにとうようさんご自身の監修でこれらの貴重な音源の復刻の仕事をご一緒できる機会が来るだろうことを心の奥で疑わずにいたのです。それなのに・・・、その機会は永遠に失われてしまいました。


邦楽への愛情にあふれたわたしの旧知の若い友人のディレクターが、昨年テイチクに就職しました。とうようさんの導きがあったのかもしれません。とうようさんがプロデュースした岡本文弥さんの新内や若松若太夫さんの説経節など、貴重な邦楽音源が何らかのかたちでCD復刻される日も、きっとそんなに遠くはないだろうと思います。


【付記】
 中村とうようさんが大きく関与した日本の伝統音楽・民俗芸能の仕事では、桃山晴衣さん、そして芸能山城組の1970年代から80年代半ば頃までの一連のアルバムのプロデュースが思い起こされます。そしてCD付き書籍として世界中の大衆音楽を紹介したオーディブック、その第9集『日本の庶民芸能入門』(1991)は、やはり瞠目すべき仕事でした。また、SP時代の日本のさまざまな話芸(初代若松若太夫や萬歳など)や書生節(演歌)などをCDで復刻した大道楽レコードの作品群も忘れ難いものばかりで、これらを当財団でCD再発できないかどうか、とうようさんにご相談したいと思っていた矢先でした・・・。こうした古い音源の復刻は権利処理の問題が非常に複雑で、CD化したときの権利処理の経緯や事情を知っている方がいないと、再度の復刻に向けて歩を進めることは大変な困難を伴います。

  

と、ここまで書いたところで、なんと(!)偶然にもこの大道楽レコードのいくつかの作品の制作にも関わられた、SP盤をはじめ芸能全般の研究家の岡田則夫さんが別件の打合せで当財団にお越しになりました。さっそくご挨拶・・・この新たなご縁を大切にしたいと思います。


そして、説経節に関心のある方には別途お知らせです。一般のレコード店では販売されていないものですが、以前当財団が制作のお手伝いをした、法政大学多摩地域社会研究センター発行の説経節の貴重な音源記録「日本文化の伏流 民衆芸能 説経節集」(1998)という上下巻、CD全8枚のセット作品があります。上巻4枚が9代目から11代目の薩摩若太夫を中心とした多摩地区の説経節、下巻4枚が初代若松若太夫を始め、秩父の若松吉野太夫佐渡の霍間幸雄、名古屋の6代目岡本美寿松太夫の音源を収録。このセット作品は法政大学多摩地域社会研究センターが販売するもので、当財団では扱っておりません。また現在も同センターに販売在庫が残っているかどうかは不明です。詳しくは、こちらの渡辺国茂さんのホームページ「わざをき通信()」内の、「説経浄瑠璃 資料編」のページに掲載されています。(繰り返しますが、本作品の販売は当財団では取り扱っておりません)

(堀内)