じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

淡路人形座(3)国生み神話と淡路人形浄瑠璃の発祥

先月の八日、初めての専用劇場としてグランドオープンした淡路人形座(あわじ にんぎょうざ)→http://awajiningyoza.com/ningyoza/。今回は『古事記』の国生み神話と淡路人形浄瑠璃の発祥について、淡路人形座支配人の坂東千秋さんにうかがったお話を中心に、そのあと調べた内容を交えてご紹介致します。

国生み神話について、こちらのサイトより引用→http://www.awajishima-kuniumishinwa.jp/kuniumi/index.html
(2015/1/25追記:サーバが閉鎖されたようで現在つながりません。)

古事記』によると、伊邪那岐命イザナギノミコト・男神)と伊邪那美命イザナミノミコト・女神)の二神が、国生みの際、天の沼矛(ぬぼこ)で混沌とし た海原をかき回したとき、滴り落ちたしずくが固まり「おのころ島」が生まれました。(以下略)

岩波文庫の倉野憲司校注『古事記』の19ページから32ページの訓み下し文「伊邪那岐命伊邪那美命」を一部意訳すると、おのころ島に降り立った兄妹神の伊邪那岐命(通称イザナギ)と伊邪那美命(通称イザナミ)が結婚して出来た最初の子供は骨の無いヒルのような「水蛭子(ひるこ)」だったので葦舟に乗せて海に流し、次の子供「淡島(あわしま)」も完全ではなかったために子供のうちには入らない、と書かれています。淡島の所在は不明です。

完全な子が生まれない原因を占ってもらうと、女性のイザナミから男性のイザナギを誘ったためだとわかり、改めてイザナギから誘うことによって正しく生まれた最初の子供が淡路島だということです。淡路島に続いて出来た子が四国→隠岐→九州→壱岐対馬佐渡→本州…というように次々と国が生まれ、日本列島が誕生します。

さて、葦舟に乗せて流した「水蛭子(ひるこ)」が海に漂っているところを和田岬で漁師が引き上げたところ、「水蛭子」が漁師の夢枕に立ち、神殿(宮居)を作って欲しいと言ったそうです。その要望に応えて作ったのが兵庫県西宮市の西宮神社。「水蛭子」すなわち蛭子大神(えびす様)を祀る神社の総本社で、「えびす宮総本社」と称されます。えびすは蛭子、戎または恵比寿とも書きますね。西宮神社を紹介するサイト内の由緒の欄に記載されていました→西宮神社(西宮市)

淡路人形座には、戎神、百太夫、道薫坊の像が飾られていました。道薫坊は西宮神社の戎(蛭子)神に仕える坊主でしたが、道薫坊の死後は仕える者がいなかったために国に災いが起きました。そこで、百太夫が道薫坊に似せた人形を操り、戎神をなだめたのが傀儡師(人形遣い)の始まりです。諸説ありますが、淡路島に大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、傀儡師の人形芝居に演奏がつくようになって人形浄瑠璃が誕生したようです。

室町時代になると、散所村(現在の西宮市産所町)に住んでいた傀儡師(人形遣い)が全国を巡り、えびす神の人形繰りによって神徳を説いたことにより、全国にえびす信仰が広まったとのこと。道薫坊とは淡路特有の言葉で、木彫りの人形を意味する木偶(でこ)から生まれた言葉でもあり、道薫坊は実在の人物ではなく人形を擬人化したもの、とも考えられています。

この人形廻しを生業とする農民のことを「道薫坊廻百姓」と呼ぶそうですが、坂東支配人のお話によると約四十の人形座を結成して全国を巡業していた時代もあり、そのうち大きい座が六つあり、そのうちの一つ、吉田傳次郎座の人形道具一式を買い取り、受け継いで今に至るとのことです。現在はこの淡路人形座一座のみ。

南あわじ市の大御堂戎社・三條八幡神社脇宮は、淡路人形浄瑠璃発祥の地とされ、毎年1月2日の朝に、淡路人形浄瑠璃の起源となった「三番叟」 が奉納されます。これは人形座が公演を行う前に成功を祈願して行う神聖な儀式でもあり、 天下泰平や長寿円満、五穀豊穣などを祈り、三番叟の舞を戎社に奉納するそうです。

また、神戸市兵庫区西柳原町のJR兵庫駅近くにあり「柳原のえべっさん」の愛称で親しまれる蛭子神社では、毎年1月9日に淡路人形浄瑠璃の「戎舞」が奉納されます。
柳原のえべっさん - 兵庫・柳原 蛭子神社
前回のブログで紹介致しました人形遣い(=役者)の吉田新九朗さんは、この「戎舞」が好きとおっしゃっていました。神事ではありますが、短いけれども楽しい演目なのだそうです。

Introduction to 淡路人形座 - じゃぽブログ
淡路人形座(1)写真でご紹介 - じゃぽブログ
淡路人形座(2)役者<人形遣い>吉田新九朗 - じゃぽブログ
このブログに掲載した写真は2枚とも蛭子神社です。

(J)