じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

「浅草流鏑馬」に行ってきました!

先月4月20日(土)浅草隅田公園特設会場で開催された、「第31回浅草流鏑馬」に行ってまいりました。先月23日(火)のJさんの兵庫県姫路市の「三ツ山大祭」ブログの中でも「流鏑馬」について紹介記事がありましたが、私が行った流鏑馬は、江戸時代に正月行事として浅草神社で行われていた流鏑馬を、観光行事として復活・継承したイベントで、今年で31回目。当日は肌寒く、今にも雨が降り出しそうなあいにくの天候でしたが、公園内は多くの見物客で溢れ、大変な賑わいを見せておりました。馬に乗って弓で的を射る姿は勇壮で、当時の錦絵を見るよう。
まずは、流鏑馬に先立って、射術の練習として草を束ねた鹿形を的にした草鹿(くさじし)の行事が行われていたので、そちらの会場へ。
射手が4人ずつ2組に分かれ、古式にのっとって「鹿の形」を射て、その点数を競い合い、最後にそれぞれの大将が登場。矢が放たれると、的奉行が「当たり外れ」、そして「所作」を判定します。射手と的奉行とが、「どこに矢が当たったか」などを問答するのも「草鹿」の特徴の一つで、そこは武道ですので「所作」の判定も大切なことだということです。
←「草鹿」の的

草鹿の起源は、建久5年(1194年)、源頼朝が富士の裾野で巻狩りを催した時に、家人がしばしば鹿などの獲物を射損じたので、古老の武士にたずね、射術の稽古の方法として草を束ねて鹿の形をつくり、距離を定めて稽古したのが始まりといわれており、現在、「小笠原流・歩射の式」として残っています。もともとは「騎射の式」であったのでしょうが、近世は「歩射の式」として行われています。また、厳格な礼射の式としてではなく、古書にも「遊射なり」と記されていることから、古来より競技的な意味で行われたものと考えられます。    〜開催案内パンフより抜粋〜

的に当てるだけでは意味はなく、定められた所作や体配を一つでも間違えれば外れとなり、また、的中の矢所を問われ、間違えても外れとなる。的に当てるだけで勝敗を決すると思いきや、「所作」までが問われるとは。。。ん〜奥が深いっ!約1時間、初めて観る儀式を堪能してまいりました。
その後、続いて行われる流鏑馬会場へ移動。公園内には、砂を敷き詰めた300メートルの特設馬場が設営され、射手が3つの的を馬上から射抜くたびに観客から大きな拍手が沸き起こりました。
私は、草鹿同様、流鏑馬を観るのも初めてのことで、その迫力に圧倒されておりましたが、そもそも流鏑馬とは何ぞや? ということで、

流鏑馬の語源は、「馬を馳せながら矢を放つ」という意味から「やばせむま」といわれたものが「やぶさめ」となったといわれています。また、流鏑馬と書くのは、鏑(かぶら)のついた矢(鏑矢)を馬上より射る意味を文字にしたといわれ、文献では藤原宗忠の「中右記(ちゅうゆうき)」、藤原明衡(ふじわらのあきひら)の「新猿楽記(しんさるがくき)」に見られ、概ね900年前に遡ります。
いつ頃から流鏑馬が行われていたかというと、天武天皇の時代、西暦700年頃に始まると伝えられ、「日本書紀」の天武紀に「馬的射(むまゆみいさせ)」と書かれています。これが騎射(うまゆみ)の始まりであるとされています。これ以後に始められた騎射は、宮廷の公事であったようで、歩射に対し騎射といわれ、すべて馬上で矢を射る事をさしていました。この宮廷行事であった騎射は、平安時代盛んに行われておりましたが、公家社会の凋落とともに衰退し、武家の抬頭により「流鏑馬」と名称も方式も改められ継承されてゆきます。この武家流鏑馬が盛んに行われたのは、鎌倉時代源頼朝が幕府を開いた頃からで、その儀式は厳格に行われ、鎌倉の鶴岡八幡宮放生会(ほうじょうえ)の日にのみ実施されるようになります。
やがて、鎌倉幕府の凋落と共にこの流鏑馬も衰退し、室町時代に至りほとんど途絶えてしまいます。僅かに神社の神事にその形が伝えられておりましたが、公の場に再び登場するのは、江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の時代まで待たなければなりません。享保13年(1728年)、吉宗は世子の疱瘡平癒祈願のために流鏑馬の奉納を命じ、約400年ぶりに、公の場で復活されることとなります。その後、江戸時代末期まで、将軍家の元で流鏑馬は行われておりました。この時の式法は、古式に対して「騎射挟物式(きしゃはさみものしき)」と呼ばれています。
現在では、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ、古式及び騎射挟物式が様々な神社で行われております。  
                 〜開催案内パンフより抜粋〜



的を射抜く瞬間の写真を撮ろうと陣取っておりましたが、撮影できた写真は、同じく写真を撮る人たちの腕や後姿ばかり。あまりの人の多さに後ずさり。。。結果撮影できた写真が上記。あまりにも馬の動きが速く、そもそも携帯電話カメラでは無理がありました。というわけで、開催案内パンフより。

砂塵を上げながら颯爽と駆け抜けるサラブレッドは、とにかく力強く、そして美しい姿でありました。また、馬上の射手も勇壮で、錦絵のごとく。ただ、駆け抜ける走路の近くに寄れば寄るほど、全身砂まみれになってしまうのには閉口しましたが、これも醍醐味のひとつ! かな。。。
今回は浅草でしたが、他地域で流鏑馬の行事がこの時期行われているかどうか調べてみると、いろいろありました。
5月4日(土)〜6日(祝)は、静岡県富士山本宮浅間大社にて、流鏑馬祭が行われます。御殿の神事に続いて行われる流鏑馬式は古式を今に伝えている、とのことです。
そして、5月17日(金)〜18日(土)の両日、例大祭(れいたいさい)が日光東照宮で行われ、表参道特設馬場に於いて小笠原流による「流鏑馬神事」が奉納される予定。
また、神奈川県・鎌倉宮では、5月5日(祝)端午の節句に「草鹿式」を開催。昭和初期より行われている行事で、勝ち組の大将には神職より「菖蒲の花」が贈られます。
上記他、全国各地で様々な行事が行われているのですね。機会あったら、他の地域の流鏑馬式にも足を運んでみたくなってきた今日このごろです。

(よっしゃん)