じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

村治佳織 SACD コレクション2  part 1

6月19日に「村治佳織 コレクション 2」(SACD4枚組)が発売されました。「コレクション 1」同様、好評をいただいております。今回はアルバム「カヴァティーナ」のライナーノーツをご紹介いたします。

「カヴァティーナ」
〈 録音:1998年6月パリ、9月草津 発売:98年11月21日 〉
村治がパリへ戻って間もなく私は次のレコーディングへの構想を慎重に練った。これまでリリースした4枚のアルバムはクラシックギターを目指す若者たちに絶大なる刺激と希望をもたらし、新しい才能も芽生え始めていた。彼女は間違いなく、日本のクラシックギターの世界に新風をもたらしたのだ。コンサートや楽譜、ギターのセールスなどのビジネスにおいてもまた、海外から来日するギタリストたちの誰もが驚くほど活況を呈していた。一方で、マスコミにおおいに取り上げられ、ギター界のプリンセスとして彼女の名前は全国に知れ渡り、今までクラシックギターに特別の関心を持たなかった一般の人々まで、彼女のCDを聴いたり、コンサートで生の演奏に触れることになり、その数は通常のクラシック・アーティストでは考えられないものであった。だが、その中には自分たちがこれまで聴いていた所謂、ポピュラー音楽の中での耳慣れたギターとは違い、難しく、親しめないものと感じた人も多かったようだ。残念なことにこの人たちは、今、話題の村治佳織を聴いたという満足感で終わってしまっていた。私はこのままでは彼女の存在は一過性のブームで終わってしまうと危機感を抱いた。そこで、彼女の音楽の魅力を知るためのサインポスト(道しるべ)、あわよくば彼女を通じてクラシック音楽、そのものの興味につながるようなアルバム内容の制作の必要性を強く感じていた。一方、パリにいる彼女は留学から1年余りを過ぎ、自分とは関係なくどんどんメジャーになって行くものの何かしっくりこない、かといって答えも見つからない。あと1年で学校での授業は終了、そんな焦りも感じていたのではなかっただろうか。そのような彼女の心境を察しながらも、私は、パリに5枚目のCD制作のため、毎週のように新しいコンセプトの基、様々な提案と共に曲をMDに入れて送りました。惑いのなかにもパリでの生活を満喫していただろう彼女にとって、次のCDのことを考えるのは大いに負担だったのでしょう。返事はなかなか来ません。私は次のアルバムであなたをポピュラー・アーティストにしようとしているのではなく、クラシックギターを広く知ってもらうため、自らチャレンジして行くような、よりチャーミングなアーティストになってほしいからだというメッセージを曲とともに送り続けました。そのようなやり取りをするうちに、やっとコンセプトに合う作品が彼女からも続々と提案されてきました。その中に彼女からこの曲は外したくないという意外な曲、日本にいたら絶対に提案しないだろうと思う曲がありました。それは映画「バグダッド・カフェ」からの「コーリング・ユー」です。多分パリで再上映を見た時の彼女の心情にこの映画と音楽が、ピタリとリンクしたに違いありません。レコーディングは彼女の授業やレッスンに支障にならないようにと初の海外録音、パリ市内の教会で行うことにしました。留学から1年半、初めての一人暮らし、異国の地パリで迎えた二十歳、音楽以外の細々した煩わしいことも含めた全てが彼女をまた一回り大きくし、演奏を聴くと今まで以上に音楽を感じ、自己を表現してゆく力が明らかに増したと感じました。教会でのエキサイティングな録音は夜遅くまで続きましたが、スケジュールがやっと取れたパリでの2日間では曲の全てを収録することが出来ず、残りのプログラムは日本でおこなうことになったのです。それから3か月した9月、夏季休暇の来日を使ってのコンサート・ツアーが終わったのを待って、草津夏期国際音楽フェステイバルが終了したコンサートホールを使い、残りの映画音楽や小品を録音しました。ところが、その頃日本は台風シーズン、連日の強い雨と風の音にレコーディングは度々中断させられました。強い雨の中で激しい曲、合間を縫ってメランコリーな曲をと、ハラハラドキドキの楽しい? 録音現場でした。そして録音終了後のある日、彼女たち会いでのスタジオ編集作業が午後1時から始められました。普段なら夜には終わってしまう作業ですが、気がつくとすでに深夜、我々がそこに求めるものが非常にレベルが高いこともあったのですが、雑音の全くないスタジオで聴くと、パリの教会内に外から漏れてくる鳥の囀り、草津での雨、風の音などがごくわずかですが聞こえる時があり、それを編集で避けなければならず、終了したのは何と翌日の夜遅くだったように思います。その間、一睡もせず連続35時間の集中した作業でした。
                                            (野島友雄)

(Yuji)