東京ではおだやかな天気が続いていたので、今年は、雪は降らないかと思っていましたが、3連休初日の昨日は雪となりましたね。ブログには雪景色と思いましたが、午後にはすっかり解けてしまいました。
そこで、弊財団のツイッターでも「雪」に関する曲がたくさん紹介されていましたので、その中の地歌《雪》をご紹介します。
地歌の《雪》は、《残月》の作曲者として有名な峰崎勾当(みねざきこうとう 18世紀終わり頃〜19世紀初頭に大阪で活躍)が作曲した「端歌物」(三弦で弾き歌いする曲)とよばれる地歌で、屈指の名曲と言われています。端歌物の作詞は、趣味豊で粋な商家の旦那衆などが携わるなど、上方の社交的な場である遊里やお座敷などで享受されたようです。
この地歌《雪》の作詞者、流石庵羽積(りゅうせきあんはずみ)も風流な文人であったそうで、「花も雪も払へば清き袂かな」ではじまる歌詞から、《雪》というタイトルがついたようですが、詞の内容は冬の夜の情景が中心になっていますが、雪を主題としたものではありません。
【歌詞】
花も雪も払へば清き袂かな ほんに昔の昔のことよ
我が待つ人の我を待ちけん 鴛鴦(おし)の雄鳥に物思ひ羽の
凍る衾(ふすま)に鳴く音もさぞな さなきだに
心も遠き夜半の鐘 [合の手]
聞くも淋しき独り寝の 枕に響く霰の音も
もしやといっそ堰きかねて 落つる涙の氷柱より
辛き命は惜しからねども 恋しき人は罪深く
思はぬ事の悲しさに 捨てた憂き 捨てた浮世の山かづら
美しい桜花や雪を「浮世」とたとえ、それを払い捨てて仏門に入った「ソセキ」という名の大阪南地の元芸妓(歌詞の6行目に「いっそせきかねて」の中に、名前が読み込まれています!)が、昔を述壊する内容です。
来ぬ人を待って、夜半の鐘を聞きながら夜を明かすこともあったという歌詞、「心も遠き夜半の鐘」の後に演奏される[合の手]と呼ばれる間奏はとても美しい旋律で、本来は鐘の音の描写ですが、〈雪の手〉と称して、他のジャンルでも雪の情景の演出に利用されています。
訪れの途絶えた恋人を、霰の音でさえも「もしや」と思って耳をそば立てては涙に暮れていたことを、鐘の音に重ねて回想し、「夜明けともに迷いの夢から覚めた」という意味の「山かずら(=山の端にかかる暁の雲のこと)」という語で締めくくることとで冒頭と呼応しており、享楽の現世と無常の世が詞の中に見事に歌われています。
「雪」収録CD
ビクター舞踊名曲選(28)地唄
藤井泰和の三弦
清元《三千歳》「忍逢春雪解(しのびあふはるのゆきどけ)」では、直次郎のコトバ「思ひがけなく丈賀に出会ひ、頼んでやつた先刻の手紙、もう三千歳の手へ届いた時分〜」の伴奏に〈雪の手〉が演奏されています。(こちらはカセットテープです。)
(制作担当:うなぎ)