じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

テノール歌手 木下 保先生(8)

『戦争で生き残った私の仲間や当時の学生達が忘れることのできない信時潔の大作「海道東征」の初演に際して、私が指揮者として練習に打ち込んでいたときの話がある。合唱練習のときはもちろんのこと、オーケストラ伴奏付のときも必ず立ち合っておられ、矢も楯も耐えられなくなると、突如として仁王立ちになり、甲高いフォルティシモの声が飛んできて、練習はしばしば中断せざるを得なかった。全員はただただアッケにとられ、私も指揮者として面目は丸つぶれにはなるし、困惑した。信時潔先生の音楽への情熱に圧倒され、敬服し、厳粛な雰囲気さえ生まれて、練習の成果はその都度高揚するのであった。』(合唱通信1965.10月号より)
本日はシリーズでお伝えしている「テノール歌手 木下 保先生」第8回、信時潔作曲『海道東征』を指揮する木下保先生です。
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木下先生は、合唱指揮者として数えきれないほどの作曲家の「初演」をされたそうです。出来るだけ忠実に作品を再現しようと努力されながらも、作曲家にもいろいろなタイプの方がいて、当惑することもしばしばあったそうですが・・。上記は、木下保が尊敬し信頼をよせていた、信時潔とのエピソードです。
木下が教鞭をとっていた「東京音楽学校」は、戦時体制下において、日本の音楽活動での代表的な立場にあり、東京音楽学校生徒によって演奏された『海道東征』や『海ゆかば』は、国民の士気高揚として使用されたそうです。作曲者信時潔は、戦争にまったく関係なく作曲したこれらの曲が戦争に利用されたこと、またそれについて抵抗できなかったことを遺憾に思い、その後は新作発表をしなかったのだそうです。詳細は、「SP音源復刻盤 信時潔作品集成」をご参照ください。1941年に録音された『海道道征』もこちらで聞くことができます。また解説書内の畑中良輔氏による小論も、この時の『海道道征』のエピソードです。

木下保先生を知る方も、戦前と戦後では、がらっと人が変わったようだったとおっしゃっていました。戦前は、どちらかというとロマンチストであった木下先生も、戦後は武士のように厳しくなられてしまったのだそうです。戦争が残した傷あとは、さまざまにあったようです。

左:木下保  右:信時潔(写真:信時裕子氏蔵)

(制作担当:うなぎ)