じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

地歌 川瀬里子と阿部桂子

8月もあっという間に半ばを迎え、もうすぐお盆ですね。先週8月4日に「第60回 藤井昭子地歌ライブ」(◆)の様子をお伝えしましたが、8月4日が祥月命日だったという九州系箏曲地歌演奏家、阿部桂子師のCDをご紹介します。

◆『箏曲・地歌 阿部桂子の至芸』
収録曲:「鑑の曲」「竹生島」「稚児桜」「宇治巡り」
阿部桂子師は、明治33年3月3日生まれで、3人姉妹の3番目だったそうです。そして、満3歳のころからお稽古を始められたとのこと。阿部師は名古屋の生まれで、お姉さんが、名古屋を代表する吉沢検校(「千鳥の曲」の作曲者)の後継者、松枝鶴翁検校の養女ということもあり、親戚や姉妹が皆、お箏のお稽古をしていたそうです。三姉妹の中でも、お稽古が一番好きだったそうで、15歳の時に職格の資格を取り、専門家となられたそうです。

〔写真:『阿部桂子 地歌とともに九十年』(1992年 中日新聞本社)〕
阿部師の実家は太物商で、木綿を織り染めて浴衣のようなものを製造・小売りされていたそうです。写真の阿部師の芸談の本には、400年の歴史を持つ名古屋「有松絞り」が装丁されています。
明治40年に開催された東京勧業博覧会(東京・上野公園周辺で開催、入場者680万人)で、有松絞りのお店を出店され、それを機に、東京浅草雷門に引っ越しをされたそうです。お店は、今でもあるという「やまや」さんのお隣だったそうです。当時はほとんどの人が着物で、お店も賑わっていたとのことです。
東京に上京されてからは、演奏会を聞いて回ってたそうですが、その時ちょうど、九州から東京に川瀬里子師(1873−1957)がきていて、その芸のすばらしさに入門を決意、最初はなかなか弟子にしてもらえなかったとのことですが、何度もお願いして入門が叶ったそうです。
阿部師は、『川瀬先生の三味線は、琴線をころがすような音で、はじき(三味線の技法)でも人間の技とは思えないような芸でした。』と語っています。川瀬里子師は、現在、熊本で開催されている長谷検校記念「くまもと全国邦楽コンクール」でも知られる、長谷検校幸輝(1842-1920)の弟子で、弟子には他に、木谷寿恵、そして先代の福田栄香師らがおり、三師が相次いで上京されたことにより、九州系地歌が東京で広く知られることとなりました。

◆『箏曲・地歌 阿部桂子の至芸 第ニ集』
収録曲:「夕顔」「磯千鳥」「七小町」「山住」
阿部師は、名古屋の芸で仕上げたものを、九州系の芸に入れ替えるまでに「固まったコンクリートを粉々に砕いてまた固める」ような厳しい稽古を続けられたということです。時には、川瀬師の顔つきさえも真似したとのことです。
『川瀬先生の芸は、気迫のある芸風で、ひと撥(ばち)、ひと節(ふし)、全部に気持ちを込めなきゃいけないみたいで、いつも全力投球でしたね。』と、その著書の中で語っていらっしゃいます。

◆『箏曲・地歌 阿部桂子の至芸 第三集』
収録曲:「萩の露」「尾上の松」「四季の眺め」「六段」
録音をはじめられたのは比較的晩年のことだそうですが、気迫のこもる芸をお聴きいただくことが出来ます。

(制作担当:うなぎ)