じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

太田道灌と江戸城

♪月かげの 入る山の端もなき 武蔵野に
桔梗の旗の勇ましく 平城(ひらじろ)築き 街を立て
我が庵は松原続き 海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る
その言の葉に 百年(ももとせ)を 四つと半ば重ねて遠き
古(いにしえ)の 都のはじめ 偲ばれん
こちらは栗原廣太作詞、宮城道雄が昭和11年に作曲した『道灌』という曲の歌詞の一部で、「太田道灌四百五十年祭」の記念曲として作曲された、箏の合奏曲です。(歌詞:海近く→江戸城が築かれた当時、お城の前面は海だったそうです。百年を四つと半ば→450年)

太田道灌(おおたどうかん、1432〜1486)は室町時代の武将で、草深い武蔵野の地(武蔵国豊嶋郡江戸)に江戸の礎を築きました。江戸城は1457年、道灌が25歳(お若い!?)のとき完成したそうで、三重の濠を巡らし、子城、中城、外城と3つに区切って建築したそうです。道灌の死後、修築に着手したのが徳川家康で、すべての城郭が完成したのは三代将軍・家光の時代の1638年とのことです。
地下鉄のホームで「浮世絵スタンプラリー」の冊子を手にしたjapogirlさんのブログ◆を拝見。「東京メトロの走る地上は、かつて江戸の町だった」をテーマにスタンプラリーが開催されているそうで…。
そのブログを読んでからは、私の中で、東京メトロの駅が江戸城化しています。(笑)
半蔵門桜田門は、門の名前に聞こえてきますし。御成門都営線)は、芝増上寺の北端にあった門の別称だそうで、将軍が増上寺に参詣する際に用いられた門で、御成門と呼ばれるようになったとのことです。江戸ですね、江戸!

散歩をしながら、江戸時代を発見!そのような楽しみ方をなさっている方は、いらっしゃると思います。私も『切絵図・現代図で歩く もち歩き江戸東京散歩』(人文社・2003年)という本を見ました。現代地図と切絵図を照らし合わせて、名所旧所を訪ねるという本です。
最近、ずっとお知り合いだった方が「私、実はお城マニアなの。」とおっしゃったので、「知りませんでした。」とお返事すると、「いまの江戸城の本丸は…」と会話がはずみ、ますます私の中で、江戸化しています。当財団よりリリースされている詩吟のCD◆は、ジャケットにお城の写真が使用されています。

話がそれましたが、冒頭でご紹介した太田道灌には「山吹伝説」という伝説が残っていて、道灌が越生を訪ねたとき、突然のにわか雨に遭い、農家で蓑を借りようと立ち寄ったところ、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかったが、後でこの話を家臣にしたところ、それは兼明親王の歌「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」に掛けて、山間(やまあい)の茅葺きの家で、貧しく蓑ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。道灌は古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後は歌道に励んだという。(ウィキぺディア参照)
この伝説をもとに、宮城道雄作曲『道灌』では、
♪葦荻(よしおぎ)の茂る野末に狩倉の 弓矢に注ぐ俄雨
の歌詞を受けて、突然の激しいにわか雨を描写、そして山吹伝説の和歌、
♪七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに 無きぞ悲しき
は、ソプラノの美しい旋律で歌われ、奥ゆかしい少女の姿を想像することができます。
総勢70名以上で演奏された迫力の『道灌』(ライブ録音)◆は、こちらのCDでお聞きいただけます!

「いにしえの みやこのはじめ しのばれん」

(制作担当:うなぎ)