じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

真田紐(さなだひも)の今

唐突ですが、わたしは東京新聞を購読しています。うろ覚えで大変恐縮なのですが、以前、東京新聞真田紐(さなだひも)が英国にある芸術大学のクリエイターとコラボレーションして、とても先進的な甲冑テーストの首飾りや靴を作っていたのが記事になっていたな・・・と記憶しています。日本の伝統工芸、欧州に進出!といった内容だったかと思っています。

そもそも真田紐とは、『ひらたく組んだ木綿紐、真田昌幸が刀の柄をまくのに用いたところからの名』だそうでして、伝統芸能に興味のある方は和装される方が多いので、馴染みも深いかもしれません。草履の鼻緒にも使われています。私も一足持っています。


創作京履物伊と忠さんのHPより)

それ以外では、茶器や美術品、陶器などの伝統工芸品を入れる桐箱の結び紐として使用されたりしています。組んで作る組み紐と異なって、真田紐は織られるもの。言ってみれば、ものすごく幅の狭い帯のような紐、というところでしょうか。そのため、伸びる事がなく丈夫なので、古くは刀の下げ緒・たすき・行商の荷紐・男の帯・はてはランプの芯などにまで、日常的に広く使われていたそうです。

滋賀の伝統工芸品に手織りの真田紐があるそうですが、皇后美智子さまの婚礼の桐箱にかける紐や、正倉院でも利用されたこともあるそう。紀子さまの滋賀来訪の際も、帯締めとして献上されたとか。丈夫であることと同時に、丁寧に織り上げた真田紐ならではの柄行には、ほかの紐にはない独特の美しさがありますものね。

さて、その真田紐の由来をたどると真田昌幸(まさゆき)・幸村(ゆきむら)父子に行きつきます。関ヶ原の戦い紀州九度山に蟄居させられた真田氏。仕送りがどこかからあったとしても、その家族や家臣まで食べさせるのは大変なことだったでしょう。そんな中、苦しい家計を支えるために作ったのが真田紐と言われます。他にも説があって、真田紐を作って売り子に全国を売り歩かせ世間の情報を集めたとか、売上が軍資金になったとも言われています。

司馬遼太郎さんの「風神の門」に、真田ひもに関する話しが出てきます。こちらでは、息子の幸村に焦点を当てて、魅力ある人物に描いています。

才蔵のみるところ、幸村にとって、真田ひもは、単なるひもではない。まず、自分の監視者である九度山の村民に内職をあたえて暮らしを豊かにさせ、自分に腹心させるように仕向けている。それだけではない。出来上がった真田ひもを、自分の労党に背負わせて、諸国に行商させているのだ。・・・・・(略)おそるべき諜報網である。流人真田幸村は、紀州高野山麓の九度山の山村に住みながら、座して天下の情勢を、細大もらさず知ることができる。
(新潮文庫 風神の門 上 より)

本当のところはどうだったのでしょう。真田紐が何百年と生き残り、今や女性のファッションに生かされたり、果ては海外にまで出て行っていると知った時の、幸村の驚く顔がみてみたいものです。

(弘)