じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

テノール歌手 木下保先生(1)

2月18日に、『日本の合唱まるかじり』 というCDをご紹介した際に、木下 保(きのした たもつ)先生の話で終わりましたが、本日は声楽家テノール)で、合唱指揮者であった木下保先生の新しいアルバムをご紹介します。
3月2日にリリースされます 『木下保の藝術〜信時潔團伊玖磨歌曲集〜』 は、テノール歌手、木下保が信時潔團伊玖磨の作品を歌う歌曲集です。信時潔の作品を全8曲、團伊玖磨作品を全9曲歌っています。
信時潔作品は、京都の大谷楽苑選定の讃仰歌(さんごうか)である「みほとけは」にはじまり、1944年にニッチクレコードから発売されたSP盤音源「つなで」、1961年に放送されたNHK第2「朝のリサイタル」より「茉莉花」他が収録されています。そして、1960年に発売された東芝レコードから、團伊玖磨作曲「わがうた」他が収録されています。

木下先生は、明治36(1903)年、兵庫県豊岡市に生まれ、お父様は特産品である「柳行李(やなぎごおり)」の製造卸業を営んでいたそうです。行李(こうり)とは、柳や竹で編んだ箱形の入れ物で、私はあまり馴染みがなかったので、インターネットで少し調べてみましたら、今では柳行李製のアタッシュケースなど、素敵な鞄もあるようです。お父様は家業をついで欲しいという希望があったようですが、木下先生は音楽をやりたくて上京、東京上野の音楽学校に入学されました。
中学生時代はスポーツ少年でしたが、中学3年生の時、体操の先生がヴァイオリンを演奏されていたのをきっかけに、ヴァイオリニストになりたいと思われたそうです。ヴァイオリンを川上淳先生、声楽を澤崎定行先生について受験勉強を始めたのですが、入試の直前に川上先生にひどく叱られてしまい、ヴァイオリニストになる資格がないと思ってしまったそうです。それで悩んだ末、志望を声楽科に変更されたとのこと。
川上先生はびっくりされて「望みのないヤツをおこるものか―」とまた怒られたとのことで・・。声楽科に入学されてからも、しばらくはヴァイオリンも演奏されていたそうです。木下先生が、上野の東京音楽学校を卒業されたのは、大正15年。そのころ声楽家の卒業生、特にテノールはいなかったそうです。
木下保先生が音楽活動をされた1920年代〜1980年代は、まさに昭和という時代にあてはまります。昭和を生きた藝術家、木下先生の音楽活動を何回かに分けてご紹介したいと思います。次回、先生が留学を決意されるところから、お話いたします。
参考文献:東京新聞「木下保藝談第1回」(昭和30年11月4日)

(制作担当:うなぎ)