じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

モノミナヒカル 佐藤慶次郎の世界


現在、多摩美術大学美術館で開催されている佐藤慶次郎(1927-2009)の振動するオブジェを集めた「モノミナヒカル展」に行ってきました。遍在する世界の輝きと不思議と畏怖の思いを、静穏かつ能動的な関わりのなかから発見し体験できる稀有な展覧会でした。「モノミナヒカル」とは、ジョン・ケージの言葉<Everything is expressive>を佐藤さんがご自身で訳されたことばです。佐藤慶次郎さんは禅に深い関心をもって接し、終生自身の存在への問いを重ねた求道者のような方でしたが、しかし、佐藤さんが生み出す作品/オブジェはとても親しげで軽やかな佇まいに包まれています。特に目を引くこともない、世界のありふれた景色のなかに広がる、広大無辺の宇宙。光を浴びてそよぐ木々の動きや、川辺の小さな渦や泡の動き。規則的なようでいて動きは一定ではなく、しかし、もっと大きな目で眺めれば、それは、動きでもあり同時に静止でもあるかのような永遠の謎と安息・・・。

「モノミナヒカル展 ──佐藤慶次郎の振動するオブジェ──」
会場=多摩美術大学美術館
会期=2012年11月1日(木)〜2013年1月14日(月・祝)
開館時間=10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日=火曜日・2012年12月28日(金)〜2013年1月5日(土)
入館料= 一般 300円(200円)/大・高校生 200円(100円)
※中学生以下、障害者および同伴者は無料
※(  )は20名以上の団体料金
主催=多摩美術大学美術館
http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition.htm

 


振動する軸の上を輪が行ったり来たりする不思議なオブジェ。1970年代半ば、今は廃館となっている「電気通信科学館」に展示されていた佐藤慶次郎さんの作品を見て、小学生だったわたしは息が止まるような不思議な思いに圧倒され、その作品の前を去り難く、佐藤さんの作品を観ることを目的に、同館に何度か通ったものでした。

その後、わたしが高校生になった1980年に新宿の伊勢丹で開催されたのが、佐藤慶次郎さんとアメリカ在住のサイバネティック・アーティストの蔡文穎(ウェン=イン・ツァイ)との「不思議な振動の世界展」でした。これは当時朝日新聞で科学と芸術の境界線で活動するユニークなアート・シーンを紹介していた坂根厳夫さんの企画によるものでした。

このときのカタログは大変面白い作りで、蔡文穎さんの作品集は一冊のカタログになっているのですが、佐藤慶次郎さんのカタログはB3サイズの厚紙の両面印刷のポスター2枚からなるもの。内1枚はカラー面に佐藤さんの作品写真と中央に谷川俊太郎さんの詩とエッセイの合体のようなテキストを配し、裏面には坂根さんが佐藤さんのオブジェの作動原理などについて解説した文章が掲載されています。もう1枚は切り取り線とのりしろが記され自分で工作して組み立てることのできる、「BOX AND COX」と題された戸村浩さん設計のセルフ・メイドの立体カタログ。切り込みを自由に組み合わせることで、さまざまな面が表側に現れます。以下の画像でわたしの手元にある同展のカタログをご紹介します。(画像をクリックすると拡大して別ウィンドウで表示されます)

 

   


裏面には佐藤慶次郎さんの創作メモの複写が印刷されています。下の写真のような感じです。


佐藤慶次郎さんは、元々は作曲家として活動を始め、早坂文雄さんに師事し、実験工房のメンバーでもありました。演奏者が瞬間のなかで全精神を動員して音を摑んでいく名作「ピアノのためのカリグラフィー」は、数種のレコード録音があります。(左は音楽評論家の上野晃さんがプロデュースした現代日本のピアノ作品の歴史的なオムニバス『ピアノ・コスモス』(クラウンレコード)。佐藤さんの同曲は、徳丸聡子さんが弾いています。右は、高橋アキさんのこれも歴史的なボックス・セット(東芝EMI)。数年前にタワーレコードでCD化されました。)
 


佐藤さんは元々寡作な作曲家でしたが、ジョン・ケージから啓示を受けて遍在する世界の実相と出会うのと同時に次第に音楽作品の創作から離れて、こうしたエレクトリックなオブジェを画廊で発表したのは1974年、47歳のときでした。

谷川俊太郎さんの対談集『ものみな光る』(1982年、青土社)に、谷川さんと佐藤慶次郎さんとの1975年の対談が収録されています。ときどき読み返すと、精神がリフレッシュされるような心地になります。佐藤慶次郎さんのオブジェを見て、これを生活空間を彩るインテリア・アートとして手元にぜひ所有したいとお考えの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この対談での佐藤さんの発言を読むと、これらのオブジェがいかに微妙な調整を必要とするかが分かります。大量生産ができるようなシロモノではないのです。佐藤慶次郎さんの世界の核心に触れるようなご発言の一部を最後にご紹介いたします。大変啓発される言葉です。

ぼくはね、手というものはすごく大変なものだと思うんですよ。それとぼくの発見はみんな偶然ですよ……。球が上がっていくのがありますよね、「サスペンション」とか「ススキ」、あれも初めは手なんです。交番磁界……、回転磁界と言っておくかな……、まあ交番磁界でいいでしょう。そういう磁界にね、軸に通したマグネットリングを置いて回転昇降させるのは既にやったわけだけど、それの長いのを作るには磁界発生機の方もそれに相当した長さになるし、軸との距離もそんなに離せないんですよ。軸とリングだけがあって、他に視界に入るものがなくてね、それで回転昇降すればいいなあと思ってはいましたけれどね、ちょっとした実験はやったけど出来るとも思わなかったし、諦めてまあ忘れていたんです……。
ある時ね、八月の暑い盛りで山荘からちょっと戻った時でしたね、マグネットリングをはめた軸の上端を手で持って、その下端をね、ワーレンモーターのステーターのローター孔に、近づけたり離したりしながら戯れていたんです。下端には別のマグネットを着けてありましてね……。別に何かをあてにして、そうやってたわけではないんですね……。するとね、リングがね、有効な磁界の範囲を超えてスーッとね、回転しながら上がってきたんです。磁界の範囲内で昇降することはもう当たり前だったんですけど、その範囲を超えてね。アレレッですよ。手には微妙なヴァイブレーションが伝わってきましたね……。まあうまくいったり、いかなかったりしましたけどね。普通だと実験しようとするときに軸を手で持たないでね、なんらかに固定して、一応、こうやると思うんですよ。ぼくなんか割合手で持っちゃうんだけど……。手で持ったままある微妙な状態を維持するのはなかなか難しいですね。とにかく下端のマグネットとステーターの距離が一ミリ違ってもね、振動が変わっちゃうんですよ。それに軸が振動しているし……。後で分かったことだけど指の力の入れ具合もね、ちょっと違うと駄目なんです。それに軸と指の接触点が少し違ってもね……。この場合、手を含めた〈系〉の条件をね、そのまま分析することはちょっと不可能でしょうね。微妙な条件がたまたま一挙に整って、リングが上がったわけですから……。もしも軸を何かで支持していたらその現象とは永遠にすれ違ってましたよね。
とにかく手が見つけてくれたあとはね、その現象が起こることはもう明らかな事実ですから、再現性のある〈系〉として現象を定着させればいいわけです。手で持っていたのと同じ状態をメカニズムとして再現したのはまだ外に出していませんけど、そう簡単じゃありませんでしたね、安定したものにするのは……。何しろ材料だって、すぐに手に入るものや身近なもののうちでね、これを使ったらどうなるだろうかというのを組み合わせるわけですから、実験の条件を厳密に設定するなんていうことは出来ないんですね。だけど軸の綿密度とか膨張係数が分かったとしてもね、それでいいものが出来るとも限らないわけですよ。とにかく、好奇心と試行錯誤が入り混じったような、マクロな、手仕事的なやり方ですね。もちろん見当はつけながらですけど。そうしているうちにね、条件と現象の間の因果関係がだんだん分かってくるんですね。そのことがらのウラオモテが……。まだ実験の途中でもね、素子の回転昇降にひきつけられましたね。だから観察してるというかエンジョイしてるというか、そんな時間の方がずっと長いわけですね、ぼくの場合。

佐藤慶次郎
谷川俊太郎対談集『ものみな光る』(1982年、青土社)より]

(堀内)